ひめみこライフストーリー第7話
うたはじめ
アートスクールに通い、念願の日本画を描き始め、
絵を描くことが自分の表現になっていきましたが、
音楽も大好きな私。
幼少期はクラシックと讃美歌で育ち、
音楽の合奏の授業がなによりも大好きで
中学時代は弦楽部でヴァイオリンを弾いていました。
高校時代にロックに目覚め、
70年代前後の洋楽ロック、ソウル、ブルース、レゲエ、世界の民族音楽に傾倒し、
10~20代は爆音でロックをガンガンに聴くロック少女でした。
日本のポップシーンにはほとんど興味なく、流行のアイドルの音楽に至っては聴くのも苦痛、
音楽ではなくノイズ、という洗練した耳の持ち主でもありました。
それが今の繊細な音の表現、サウンドセラピーに繋がっています。
そんななかで日本の音楽シーンで唯一ファンでずっとライブに通っていたのが、
THE STREET SLIDRES (ストリートスライダーズ)という日本の王道ロックンロールグループ。
これは病んでいた自分を深く癒してくれた、明るくない(笑)アングラダークサイド、陰のロック。
愛が深かった。
その後のヴィジュアルバンドの先駆け的なルックスだった。(音は違うけど)
そして、女性ヴォーカルのCHARA。
彼女のチャーミングなキャラと、不思議な声とセンスの良い音世界に魅了されて、
彼女の歌はほぼ完コピしてました。
実は、歌うことが大好きだった私。
3歳くらいの録音テープには、マイクを離さず童謡をうたい続ける私の可愛い歌が入っていました。
ずーっと聴いていて、テープが伸びてしまって、もう幻になってしまいましたが。。(T_T)
今はデジタルに残せるのでいいですね。
絵の世界に進んだけれど、得意で好きだったという理由で、
実は本当にやりたいのは音楽だったりしていました。
音楽は才能がないし、、と諦めていたんですね。
洋楽ロック、ソウルが大好きで、マネして歌っても、私の喉には無理があり、
アレサみたいに歌えない自分にヴォーカルは無理だとがっかりしていたり。
そんな中で、小柄でウィスパーヴォイスのCHARAは、私にもマネできる近い存在で、
CHARAマネしながら自然に歌唱力がついていたんですね。
音楽好きで付き合った彼が音楽の勉強をしたい、と上京して、東京に通う日々がはじまりました。
彼が音楽学校の授業の一環で作った曲に、私が歌入れすることになり、
二人で歌詞を作ったり、録音したり。
ものすごいピュアピュアな、フリーソウル風の二人の曲ができました。
それを授業でみんなに聴いてもらったら、先生からも、
「ヴォーカル、プロの人?いいねー」と言われたそうで、
わたしは、えー!とびっくり。
私の歌が曲になり、初めて人に評価された体験でした。
でも、緊張しいの私は、安心できる二人の録音なら歌えるけれど、
ライヴとか人前になったらあがってしまって全然ダメなタイプ。
小学生の頃の音楽のテストで、一人ずつピアノの前にきて歌をうたうテストでは、
緊張して蚊の鳴くような声になってしまい、
他の成績はよいのにそれだけで低い成績をつけられた苦い思い出も。
音楽活動はやっぱり無理だなあ。。と諦めていました。
でも、自分の歌が作品になり、評価されたことはとてもうれしい出来事でした。
この歌が、後に私を救うことになるとは、この時想像もできないことでした。。。。。
つづく