三話 アートの道へ~美術専門学校時代

 

三話 アートの道へ~美術専門学校時代

ロックに目覚めた17歳、アートに目覚めた18歳。

このあたりから不思議な感覚が産まれ始めます。

自分の中の日本人のDNAが目覚め始めたというか。

 

中学生までは室内管弦楽のヴァイオリンを弾き、

教会に通う「西洋的な文化」好きだったわたしが、

ロックに目覚めて東洋的な感覚が自然と目覚めてきました。

高校最後の美術の時間に制作した、

オリジナルの不思議な観音像の絵が、

私を導いていきました。

 

東京の祖母の形見の桐箪笥がやってきて、

その中にあった古い着物に出会ったこと、

クリスチャンですが仏教と仏教美術、

東洋美術好きの父の影響もあったと思います。

 

特に日本美術の美しさと奥深さに魅了され、

18歳で歌舞伎にハマり、浮世絵や日本画、

仏教美術に心酔していきました。

毎月銀座の歌舞伎座の三階席に通うという、マニアぶり。

時代衣装や着物文化の美しさにも魅せられていきました。

 

群馬の田舎から母の実家の東京に出て下宿し、

学校ではイラスト、絵本コース、東洋美術史を専攻。

大好きな絵を描くのは楽しかったですが、

オリジナリティを出していくのはなかなか難しく、

イメージに技術が追いつかないジレンマもありました。

 

そんな楽しい美術学生時代でしたが、

開業医の下宿先の叔父が大酒飲みの酒乱、

完全な二重人格の人格障碍者で、

夜な夜な酒乱の悪態を見て同じ屋根の下にいるのがストレスになり、

自律神経失調症になってしまいます。

 

志半ばにして群馬に帰り、

卒業制作のための授業に群馬から通うことに。

元気な友人たちとも疎遠になっていき、

卒業後は力尽きて引きこもることに。

 

いままで元気で楽しく過ごしていた自分の体が

思うように機能しなくなり、

出かけると具合が悪くなり、身体が痛くなり、

うちで寝ながら音楽を聴く、絵を描く、詩を書く、

という自分との時間を深く過ごす引きこもり期に突入。

 

この時、癒されたかった幼稚園時代の

気管支炎で臥せっていたころのインナーチャイルド、

母親のトラウマなどが出てきていました。

今思えば、癒されたかったのですが、

なぜこんなに具合が悪くなってしまったのか、

全く何だかわからず、どうしたらよいかわからなかったのです。

20歳にして挫折を味わいます。早すぎる挫折ですね。

 

そして、不思議な感覚は増していき、

優しい天使が自分に寄り添っていてくれる感覚や、

天使や観音様や龍神様の異次元の美しい内的ヴィジョン、

年に4回くらい?突然手が動いて言葉を書き始める

「自動筆記」がはじまり、

 

出口のない暗いトンネルの中にいた私は、

その言葉の意味はよくはわからないけれど

その時だけ光が差してすっきりと晴れやかな、

光を取り戻すような感覚になっていました。

それも時間がたつとまた暗いトンネルに戻っていくのですが。

 

全く知らずに、スピリチュアル能力が開いていたのです。

それが何だかわかるのは、それから10年以上先になります。

 

スピリチュアルに出会い、「チャネリングメッセージ」を見て、

あ!これは、あの時のものと同じだ!!と思い出し驚き、

当時の自分とやっと繋がったのです。

 

今は、その当時の光が差す状態を、毎日生きています。

 

人生体験と20年のスピリチュアル体験を統合した、

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