ひめみこライフストーリー第14話
霊的な導きで沖縄久高島へ 驚愕の超神秘体験!!②
ヴォイスワークから霊感が開き、霊的体験をして、
沖縄久高島へ、はじめての一人旅。
久高島は少し前に、たまたま雑誌の編集で「イザイホー」の記事と写真を見ることになり、その時強烈な感覚を持ったことがきっかけで、気になっていた場所でした。
聖地に女性神官たちが集まって祈りの神事を行う、神聖な行事。
写真を見た瞬間に、なぜか「これ、知ってる!!」という根拠のない強い感覚に襲われ、まるで記憶を辿るかのような、摩訶不思議な感覚になったのです。
現在は休止されていて、復活が望まれているということ。。
なぜこんな強い感覚が沸き起こるのだろう、とても気になりました。
そこからの、この流れ。(詳しくは前号をお読みください)
何か見えない力に強く導かれていることは明らかでした。
沖縄への道中の間も、頭上に光の玉(魂?)がある感じで、
常に導いてエネルギー交流している感じがありました。
これも初めての感覚でした。
沖縄到着時に引き返してきた台風が去り、いよいよ久高島へ。
小さな船に乗って15~20分ほどであっという間についた島は、
自転車で30分あれば一周できる、小さな可愛い島でした。
沖縄創始の女神アマミキヨが降り立ったとされる聖地、久高島。
歴代の琉球王女、キコエオオキミが欠かさず礼拝する神聖なところとされています。
台風明けの沖縄らしいピーカンの空の下、早速自転車で島を巡ることにしました。
うきうきしながら自転車を走らせていくと、
「ちょっと待ったーーー」と、霊的に呼び止められます。
これも、なんとなく、の感覚ではなく、かなり強いはっきりした感覚です。
自転車のブレーキをきゅっとひいてふと見ると、
傍らに小さな御嶽(祖霊をお祀りしてある場所)があります。
島の名所地図と照らし合わせると、たしかに御嶽の名前が書いてあります。
そして手をあわせ、ご挨拶して、また自転車を走らせると、
また、「ちょっと待ったー」がかかり、見ると小さな御嶽が、、
という具合に、確実に全部の御嶽ポイントで呼び止められ、
お参りしてまわることになりました。
一番の島の聖地のフボー御嶽は立ち入り禁止になっていました。
別の聖地「イシキハマ」では、一人で生まれ変わりの儀式になりました。
意図して行ったわけではなく、海に入り海水に揺られていると、
突然「おかあさーーーん!!」という気持ちが溢れ、
「海のお母さん」への愛と感謝が溢れてきて、ひとりで号泣しました。
これもとても不思議な感覚でした。
そしてほふく前進のようなスタイルで海から陸に上がりながら、
なにか、爬虫類から動物、人間の進化のプロセスを辿っているような感覚になり、
文字通り、「海のお母さんから誕生した」ような、
生まれ変わったような体験をしました。
ああ、これは生まれ変わりの儀式なのだなあ、と思ったのです。
島では、常に霊体が導き対話しながら巡っている感じでした。
だから旅の間一人でも全然怖くなく、不安も全くありませんでした。
まるで親しい誰かと一緒にいるような、全く寂しいこともなく、旅を続けることができました。
そして、島の北端にカベール岬という「龍宮の聖地」があり、
そこに向かい、岩の上に座り、世界平和の祈りを自然に始めました。
そのころ私は聖地で必ず世界平和の祈りを行っていました。
祈り、瞑想状態になっていると、ふと、
自分のまわり四隅に高さ数メートルくらいの光の柱が立ったのです。
最初は四方5~10メートルくらい離れている感覚でしょうか。
ただの物理的柱ではなく、何かの意識体の光の柱です。
私には、お兄さんのような男性の白く輝く神聖な存在に感じました。
私の中では「白い兄」として認識されました。
そして、その光の柱が、だんだん私に近寄ってくるのです。
私はそのまま祈りの状態でしたが、
ちょっと「え、、??」と思いました。
その4柱の光の柱が全部同時にどんどん私に近づいてきます。
「えええええええええ」とおもいつつもそのままにしていると
もう、いよいよ私のすぐ隣にまで4柱が接近して、
「ひええええええええええ」
もうだめだあああああああと、妙な観念をしたのち、
その四柱がついに、ひとつになって私と完全に重なりました。
その時です。
「ずん」と下から何かが入ってきました。
そうです。女性にだけわかる場所です。
「うっそーーーーーーーーーー」
と思いつつも、そのまま委ねるしかない私。
頭の中では高速でいろんな思いが駆け巡りながら、
確かな体感を伴う身体感覚に驚くしかありませんでした。
それは、人間の男性からは体験したことのない、
「完全なる愛」の感覚でした。
「こんなことがあっていいんだろうか」と頭では軽くパニックになりつつ
その体験したことのない完全な力強い愛の深く満ち足りる感覚に
身を委ねていきました。。。。
言葉で表すには限界のある感覚です。
深く完全に愛されるってこういう感じなんだなあ~
という感動の感覚でした。
そしてあまりの気持ちよさに、ecstasyに入ってしまいました。
信じられずに、我に帰り、
「な、なんか私、とてつもなく悪いことをしてしまったのでは。。。」という罪悪感に襲われつつも、
いや、あの神聖な美しい白い光と、完全な愛のエネルギーには
微塵も変なものはなかった、むしろ神聖でしかなかった、
きっと、大丈夫だ。。。。。。と自分に言い聞かせつつ、
何が起きたかわからずに、ゆっくりと、その場を離れました。
こんなことってあるんだ。。。。。
私自身自分の身に起きたことを理解もできず
「ただ起きたこと」を受け入れるのみでした。
それは、言葉にして言えば、
「光の存在と交わった」ことになります。
はっきりした体感を伴っているので気のせいとか妄想のレベルではありません。
これが神秘体験というものかー。。。。となんとなく思うのでした。
それから不思議なことに、思うだけでecstasyに入れるようになり、
それが何だか説明はつかないものの、
なにかとんでもない体験をしてしまったのかなあと、思うのでした。
この時は何だかよくわからないまま、
人にも話せないまま時は過ぎていきましたが
この体験が後々になって、いろいろ繋がっていくことがわかっていきます。
つづく