二話 ロックに目覚めオリジナルのアートの道を選んだ高校時代

NEW YORK – JUNE 1970: Blues singer Janis Joplin on the roof garden of the Chelsea Hotel in June 1970 in New York City, New York. (Photo by David Gahr/Getty Images)

 

②ロックに目覚めオリジナルのアートの道を選んだ高校時代

 

高校には、ダサい制服のつまんない進学校に行きたくなくて、

わざとテストに適当な答えを書いて公立の第一志望を落として(笑)

私立の可愛いセーラー服で、文化的特色のある

クリスチャンスクールの女子高に進学しました。

この時点ですでに、おとなしくて真面目だけど(母譲り)

個性的で自分の意志は通す、内面の強さを持っていたんですね。(父譲り)

 

高校は毎朝歴史ある礼拝堂で礼拝する、

私にとっては子供時代親しんだ心地よい空間でした。

個性的な友人たちの影響でもともと好きで得意だった

アートへの関心が強くなり、

ダンス部で踊ったり、軽音楽部でバンド活動したり、

ロックに目覚めて傾倒し、勉強しなくなり、

ライヴ→打ち上げと称して飲み行くという、

反抗期になりちょっと悪いこともしました。

 

高校時代のロックとアートの出会いが、

それまでの真面目優等生ちゃんの人生を大きく変えていきました。

 

感覚と感受性が鋭く、人と同じなことが嫌いな個性を持ち、

ニュースや新聞から大人の世界を知り、

社会システムのおかしさに気づき、

この望まない構造の歯車の中で自分を殺して生きるのはまっぴらごめんだ!

大人になってまでまた着たくもない制服着て会社勤めして、

言われた通りの仕事をするだけなんて絶対にムリ!したくない!と、

 

この世界で自分の個性と本質を殺さずに保ち、

生かせる場は芸術の道しかないと思い、

アートの道を生きる選択をし、

子供の頃から好きで得意だった絵の才能に賭けるために

東京の美術の専門学校にに進学しました。

真面目なパンクロックアート少女でしたね。

 

今思えば、18歳にして世の中と今の人生を悟っていて、

そのポリシーは今もまったく変わっていない、

この自分がいたから、今の自分があるといえる、

今の自分から見ても、

強い魂の光を持った聡明な少女だったと思います。

みんな、そんな純粋な思いを秘めて、大人になっていったはず。

 

地上人間年月は18年だけど、魂は古いんだろうなあと、

そんな18歳の自分に敬意を込めて。

 

ちなみに好きだったロックミュージックは、
セックスピストルズから始まり、ローリングストーンズ、ジャニスジョプリン、ジミヘンドリックス、レッドツエッペリン、Tレックス、アレサフランクリン、ボブマーリー、等々、70年代前後のヒッピーフラワームーヴメントのロック、ソウル、ブルース、レゲエ、の反社会的ロック。

その元となったのが、日本の王道ロックのザストリートスライダーズ。

彼らのディープな音と歌詞と世界観にノックアウトされ、

ルーツミュージックにはまっていったのでした。

日本の明るいポップミュージックには全く興味なく、

なぜかディープな陰の世界にどはまりする高校時代。

そういえば、中学時代に大好きでハマっていた詩人は、

ダダイスト中原中也。大正時代のパンクロッカーだね。

なぜか影の部分を愛する10代。

 

今はヒーリングミュージシャンの私ですが、

10代~20代は、音楽大好きバリバリのロック少女でした☆

 

群馬の田舎から、母の実家の東京へ上京し、

美術学校時代が始まります。

またここで、人生を大きく変える出来事が待っているとはつゆしらず。。。

 

つづく

 

人生体験と20年のスピリチュアル体験を統合した、

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